2月上旬の夕方、
ご近所のMさんから電話がかかってきました。
Mさんは隣組の組長さんで、電話は
ご近所のNさん(女性)が亡くなった、という知らせでした。
私が住む地域では、隣組というご近所の組織があり
葬儀の際にはお手伝いする習慣があります。
母まさこが旅立った時には
隣組の方々にいろいろとお世話になりました。
一報をくださったMさんには
葬儀のお手伝いを申し出ましたが、それと同時に
(コロナ禍でお手伝いなどできるのだろうか)と
不安になっている自分がいました。
翌日。
Mさんから、お通夜や告別式の日程表を受け取りました。
喪主は同じ町内に住む長男さんで
隣組のお手伝いは不要、とのことでした。
お手伝いがないと聞き内心ホッとしていると
「明日のお通夜に行こうかと思って」とMさん。
お通夜のほうが時間もかからない、と言われ
私もそうする旨をお伝えしました。
コロナ禍の今、葬儀は家族葬のイメージがありますが
Nさんは商売をなさっていたことがあるので、
通常の葬儀をなさるのかもしれませんね。
お通夜は午後5時から。
会場までの距離は約1kmなので、
歩いて行こうと準備をしていました。
その時、Mさんから電話がかかってきました。
「(車に)乗っていくかい?」と。
私が車を持っていないことを知っていて
声をかけてくださったのでしょうね。
Mさんのご厚意に感謝し、ご一緒することにしました。
車にはすでに男性が乗っていましたが
マスクのせいか、それが誰なのかわかりませんでした。
その男性とMさんは、会場に着くまで
車内でずーーーーーーっとおしゃべりしていました。
故郷に戻ってきたとはいえ、ブランクがありすぎて
地元のことがさっぱりわからない私には
2人のお話は初めて聞くことばかりで、とても楽しいものでした。
話を聞いているうちに、車内の男性はご近所のOさんだと
ようやく気付くことができました。
会場の入り口では、手をかざして体温を測る機械があり
その後、手を消毒しました。
受付の方に香典を渡す頃、
Mさんたちは焼香を終えて、Nさんの息子と話をしていました。
Nさんの息子は、母まさこの葬儀で初めてお話をした方です。
彼は次男坊で、まさこと仲良くしてくださっていたと
その時に知りました。
受付を済ませて会場を見てみると
奥に祭壇があり、焼香台は会場の入り口に置いてありました。
会場に入らなくてもお焼香できるようにと
配慮されているのでしょうね。
遺影は普段着で、ちょっとはにかんだ恥ずかしそうな顔で
とてもかわいらしい感じでした。
Nさんは享年97歳。
Nさんのことは、まさこから何度か話を聞いていましたが
お顔を見るのは初めてでした。
お焼香が終わり、係の方から香典返しを受け取ると
Nさんの息子さんが「わざわざありがとうございます」と。
彼はすでに涙目でした。
遺影のことを聞くと、デイサービスのお誕生祝いで
撮ってもらった写真だそうで、
だから自然でかわいい表情なのだと思いました。
Nさんは長男さんと一緒に暮らしていると聞いていましたが、
去年10月に末期がんの診断を受け、
もう手の施しようがないと言われ、ホスピスへ行ったそうです。
コロナ禍で面会できなかったでしょう?と聞くと、
面会禁止ではないけれど、なるべく来ないでほしいと言われていたようです。
施設にお願いしても、ずっと後ろめたい気持ちがあった。
Nさんとは、結局2回しか会えず。
酸欠状態になりだんだん弱っていった。
痛い思いをせずにみんな見ている前で安らかに逝った。
そうお話してくれた後、
「もう一人になっちゃった。一人になったようなもんだ。」と
彼は泣き出しました。
話を聞きながら私も泣いてしまい
「私の母(まさこ)ももっと長生きしてほしかった」と言うと、
「あんなに元気だったのに。あっという間に亡くなって…
(まさこは)畑を元気にやっていて、耕す手伝いすると約束してたのに…」と。
Nさんは、まさことお茶を飲むのが楽しみで
最後までそれが楽しみだった、という話も聞きました。
「お茶飲みに行ってくるから」といつも楽しみに出かけていた
という話を聞いて、また2人で泣いてしまいました。
それはほんの10分ほどの立ち話でした。
会場に滞在した時間は、おそらく15分もなかったでしょう。
そんな短い時間の中でも
Nさんを偲ぶこともできたし、新たなお話を聞くこともできたし
お通夜に参列できてよかったと、心から思いました。